今回は「木村藤子さんが”青森の神様”になるまで」として、木村さんが霊能者
としての現在に至るまでを4部に分けて書いています。
この記事はその4部目になります。
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自分の母親の死期を見て…
はるさんに代わって木村さんは地元の人の相談事を受付け始めた。
木村さんの名が一躍"神様"と呼ばれるまでになったきかけは、1990年に起きた
"へび騒動"だった。地元の爬虫類展から逃げ出した体長5mのニシキヘビの
居所を、木村さんが見つかる時間と共にピタリと当てた。これが全国的に報道
されると「私も見て欲しい」という相談者が全国から 殺到。"へびの神様"、
"青森の神様"と呼ばれるようになったのだ。
そして、はるさんは亡くなる直前、娘に大仕事を託した。朝まで元気だったはるさんは
ベッドに横たわり木村さんを呼んだ。「藤子、私が逝くのは何時だと神様は言って
いるの」母として、先輩としてはるさんを愛してやまない木村さんは言葉を失った。
実は、その日の朝に"神"から夕方4時半過ぎに母が逝くことを聞かされていた。
「分かりません…、見えません」涙をためながら木村さんが言うと、はるさんの表情が
厳しくなった。「ご利益を授かった人間が自分の母親の逝く時間も見えないでどうする!」
その声を聞いた木村さんは信仰者として、娘として親孝行をしなくてはならないと、
4時35分に母が旅立つことを告げた。すると母は心の底から、微笑んだ。木村さんの
涙が、はるさんの顔に落ちた。「泣かなくていいんだよ。立派なご利益を授かったね。
安心して先に行くよ。」そしてその予告通りの時刻にはるさんは旅立ったという。
多くの試練を乗り越えて、"気付き"を伝える役目に邁進し始めた木村さん。
今は自分の使命に一つの迷いもないという。
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→ 「木村藤子さんが”青森の神様”になるまで」その2へ戻る
→ 「木村藤子さんが”青森の神様”になるまで」その3へ戻る
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木村さんの自宅前にある石碑には
許すこと 人それぞれに 許がある 時の違いの 憎しみかな
人はみな 持って生まれし罪がある 罪あらずして 転生はなし
という言葉が刻まれている。