今回は「木村藤子さんが”青森の神様”になるまで」として、木村さんが霊能者
としての現在に至るまでを4部に分けて書いています。
この記事はその3部目になります。
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自分が存在する意味はない
10年が経って、”神”に逆らう生活にも転機が訪れた。
木村さんが32歳の頃、身辺に知人、親族間のいさかいなど「自分の力では
どうしても解決できない、大きな問題」が立て続けにあり、木村さんは疲れ果て
ていた。
「神様のため、親のために家を出ることもなく苦労してきたと、その頃の私は
思ってました。でも、問題は起こり続ける。それでは自分が存在する意味はない
と思いました。そんなある日、母が私に言ったんです。"もういいよ、好きに
しなさい"と。」
木村さんは、死を決意する。お腹には8ヶ月になる2人目の子供を宿していた。
「死ぬために車に乗りました。すると、その時、長男が、火が点いたように泣いて、
"お母さん!お母さん!"ってドアを掴むんです。子供も何か不吉なものを感じ
たんですね。」
それでも、木村さんの気持ちは変わらず、長男をなだめ、一人車を走らせた。
「家から5分ほど走った時でしょうか、急に猛吹雪になったんです。目の前が見え
ないくらいの吹雪。その時は9月だから、そんなこと起こるはずもないのに、
竜巻のように雪が舞い続ける。恐ろしくて恐ろしくて来た道をUターンしました。
そしたら、突然吹雪がやみ、パーッと星空が見えたんです。私は、呆然としました。
神様は、私が死ぬことすら許さないのか、と。」
涙が枯れるほど泣いた後で家に帰ると、玄関の外に母のはるさんと夫が待っていた。
翌日、はるさんにこう言われた。
「"神の道で怠けるからだ"と。この道にしっかり入らないから苦しみがやってきた、
そういうことなんですね。」
そして、はるさんは、"神"が最後のご利益を授けると言っているからと祝詞が
書かれた1冊の本を置いていった。
「"神"の喜ぶ仕事をすればいいんでしょ。だったら、やりますよ、やり通し ますよ。
当時の私の気持ちは、そういう投げやりなものでしたね。」
それから1ヶ月もしないうちに、木村さんは神様から改めて、"透視"、"除霊"という
ご利益を受け取ったという。
「すべての力をいただいた時、"神"から"任務を果たして帰ってくるがよい。待って
いるぞ"と告げられたんです。その時の神様の温かい言葉がうれしくて、しっかり
やらなくては、と思ったんです。」
(続く)
→ 「木村藤子さんが”青森の神様”になるまで」その4
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→ 「木村藤子さんが”青森の神様”になるまで」その2へ戻る
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木村さんの自宅前にある石碑には
許すこと 人それぞれに 許がある 時の違いの 憎しみかな
人はみな 持って生まれし罪がある 罪あらずして 転生はなし
という言葉が刻まれている。