今回は「木村藤子さんが”青森の神様”になるまで」として、木村さんが霊能者
としての現在に至るまでを4部に分けて書いています。
この記事はその2部目になります。
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こんな世界は嫌だ
はっきりとその不思議な"力"を感じたのは22歳の時。当時、木村さんは地元の
信用金庫に勤めるOLだった。その職場からの帰り道、強烈な光を見たという。
「夜だったんですが、突然、目の前に大きな光が広がり、神の姿が見えました。
その頃からでしょうか、いろいろなものが見えるようになってしまって、、、」
道路ですれ違うと、その人の悩み事が分かってしまったり、その他にも、日本の
あちこちで起きている事件の現場、災害、霊障現象、…。見ようと 思わなくても、
木村さんの目の前に、まるで映画を見ているかのように鮮明な 映像が広がった。
「正直なところ、こんな世界は嫌だと思いました。それに、探りたいとは思っていない
のに、人の家のお金がなくなる様子や喧嘩まで分かってしまう。とにかく迷惑でした。」
突然、自分にそんな現象が起こったなら、普通の人はパニックになるだろう。
しかし、木村さんはそうはならなかった。それは、1992年に亡くなった母・はるさんが
地元で、"木村の神様"と呼ばれる有名な霊能者だったからかもしれない。
当時、木村さんには結婚を意識している男性がいた。母は、娘とその男性との
相性を、"神"に尋ねた時に意外なことを告げられたという。
「いつも穏やかな母が、うなだれた様子で居間にやってきたんです。"藤子を
この世に出したのは、神の片腕として使うためである。気の毒だが思うように
ならない人生である"、と言われてしまったと。」
そして、はるさんは、木村さんが誕生した時の体験を初めて語り始めた。
木村さんは8人兄弟の末っ子として1947年、青森県むつ市に生まれた。
母は木村さんの妊娠が分かった時、「既に子供の数も多いのに、この子をどう
育てていこう」と悩んでいた。すると、"神"はこう言ったという。
<何も案ずることはない。母体のために早く出産させるが、この子供は神が育てるから
安心するがよい>
その言葉通り、木村さんは早産で生まれた。妊娠8ヶ月で出産した子供ということも
あってか、母は娘が健康に育つことだけを考えた。"神が育てる"というお告げが
あったことなど忘れて、普通の子供と同じように伸びやかに育てたという。
そして、22歳のあの日がやってきた。不思議な光景が見えるようになっても、はるさん
から、"神"の話を聞いても、木村さんは母と同じように神に仕えて生きていこうとは
なかなか思えなかった。
「母の仕事を見ていて、この道に進むのが本当に嫌で(笑い)。とにかく、朝から晩まで
相談者が来て忙しそうでしたから。また、地元にいる霊能者の中には、脳梗塞で
倒れた人に、"木村の神様"がキツネを憑けた、なんて嫌がらせを言うような人も
いました。母は様々な人の相談に応じながら、人の妬み、嫉みとも闘っていたんです。
でも、愚痴を聞いたことは一度も ありません。今になって神に仕えた母の人生の
素晴らしさをしみじみと感じ ます。」
なかなか"神の道"に進まない木村さんに、"神"は何度となくこう言ったという。
<お前は、神の世界で大きな罪を犯した。それを今世で、人を救うことで償う約束で
この世にきている。それを守らなければ、また転生を繰り返すだけだ>
悩みに悩んだ木村さんは、自分一人が考えを変えれば両親や"神"を救えるのかと
考えた。自分の身を"神"と"神"に仕える母のそばに置いておくことで、皆が幸せに
なるのなら…、そう思うようになっていた。
24歳の時に結婚。2年後には長男も生まれた。透視の力がなくなることはなかったと
いうが、神様を拝み、その世界の仕事をするにはまだ至らなかった。
(続く)
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木村さんの自宅前にある石碑には
許すこと 人それぞれに 許がある 時の違いの 憎しみかな
人はみな 持って生まれし罪がある 罪あらずして 転生はなし
という言葉が刻まれている。