テレビ、雑誌などさまざまなメディアで紹介され、その霊視能力が話題を呼び、
相談者が殺到している「木村の神様」、「青森の神様」など、地元のみならず
全国的に有名になった木村藤子さんについて、知ったことを書きます。
この記事は、私自身も大変関心を持って、聞いた話などを備忘録的に書くもの
ですので、読まれる際は参考程度にとらえて下さい。
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今回は「木村藤子さんが”青森の神様”になるまで」として、木村さんが霊能者
としての現在に至るまでを4部に分けて書きます。
「女性セブン」誌1月4、11日号で登場以来、木村さんの元を訪れる相談者は
後を絶たない。地元ではこうして"神様"として知られているが、連日、全国各地
からもたくさんの 相談者がやってくる。
夫婦間の悩みや嫁姑の問題を抱えた女性、子供に暴力をふるわれている母親、
逆に子供を殴ってしまう母親…。 解決の糸口をなかなか見い出すことができない
人たちは、片道何時間もかけて、雪の舞う青森を訪れる。
「ここを訪れる人の中には、なかなか私の話すことを理解されない人もいます。
しかし、例え厳しいことでも、私は見えたままをはっきり伝えます。本人が自分の
欠点に気付かなければ、運命は変えられませんから。でも、時々、見たままを
厳しく告げる自分が鬼のように思えることもあるんです。」
相談者が殺到している現在、「遠くから来たのに、(木村さんと対面する)時間が
少ない」と言われることもある。
「私はカウンセラーではありません。神様からご利益を授かり透視することと、
カウンセリングとの違いを理解してもらえず、苦労しています。」
それでも木村さん自身は食事時間や睡眠時間を削って、ギリギリの生活を続けて
いる。なぜそこまで?という問いに、木村さんはこう答える。
「神様のご利益をいただいて、人を助ける。それが私の人生なんですよ。だから、
忙しくなっても仕方がないんです。」
と。
−神に仕えるのが私の人生−
木村さんが、心からこう言えるようにまでには、長い年月が必要だったという。
そんな"青森の神様"は、いかにして生まれたのだろうか。
(続く)
→ 「木村藤子さんが”青森の神様”になるまで」その2
→ 「木村藤子さんが”青森の神様”になるまで」その3
→ 「木村藤子さんが”青森の神様”になるまで」その4
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木村さんの自宅前にある石碑には
許すこと 人それぞれに 許がある 時の違いの 憎しみかな
人はみな 持って生まれし罪がある 罪あらずして 転生はなし
という言葉が刻まれている。